投稿日:2010-08-03 Tue
今回はとあるプラント案件で今日から3日間アメリカ(インド)1名と日本2名をアテンド。こちらのアメリカメーカーさん、前回の来台はちょうど2年前でアメリカ人が2名来たのですが、前担当が退社したとかで今回は新担当のインド人が来るらしい。へえ~インド人ねえ。前回は高雄入りだったのですが、今回は3人とも韓国からの移動とかで台北入り。ただインド人は韓国から直行で午後1時55分着なのに、日本2名はエアチケットの都合とかで成田経由で午後6時半着とタイムラグが結構あり(これが後で悲劇に)。
とりあえず到着にタイムラグもあり移動はきつそうなので今夜は全員台北泊となっており、前回アテンド同様ウチからも程近く明日午前中からの移動に便利な新荘の新荘翰品酒店(CHATEAU de CHINE SinJhuang)を予約してあります。
今回は私を入れて4名だし夏だし高雄までの燃費やエアコンの効き(WISHは広いのでエアコン効率悪し)も考えて全行程TIIDA使うことにいたしました。これが5人以上なら迷うことなくWISHで。
とりあえずまずはソウルからアシアナ航空で台湾入りするインド人をお迎えにTIIDAで桃園空港第2へ。しかし私の拙い英語でインド人とコミュニケーションできるかどうかが心配。

2時過ぎに無事インド人をピックアップしてまずはホテルまでお送り。懸念していた「英語」もとりあえず会話が成立するくらいにはOKで、空港から台北のホテルまでの約1時間の車中でお互い初対面にもかかわらずいろいろ話しました。
彼の年は私より2つ下で娘さんが2人、車はデカイ車が好みで彼自身はフォードのF150というアメリカンなV8トラック、奥さんがトヨタのV6ミニバンというアメリカンな車ライフだそう。私も当然いろいろ自分の話しなぞしましたよ。
3時過ぎにホテルに到着しチェックインしたのを見届けて、私は仕事を片付けるためいったん蘆洲に戻ったところ成田空港の日本組から衝撃の電話。なんでも韓国からの帰国便が遅れたため乗り継ぐはずのCI101台北行き最終便に乗り遅れてしまいUAに切り替えたが到着は午後11時過ぎになるという!あららら。というか今年2回目か飛行機乗り遅れ(爆)。まあ飛行機の遅れだから今回は不可抗力ですね。
本来は夜4人集まったところで一緒に夕食というプランだったのですが2人間に合いそうに無いので、私とインド人の2人で夕食食いに行くことにいたしました。聞くところによるとインド人は今回初台湾だそうなのでせっかくなので台北市内に出ることにいたしました。
しかし困ったのが食べ物。
インド人はヒンズー教なので当然牛肉は駄目。そしてシーフード全般も体質的に駄目で、野菜と鶏肉、豚肉のみだって。逆に私は鶏肉食えないし。前任はシーフード駄目で牛肉はいくらでもというスタンスだったし、外国人(自分も外国人ということはさておき)は何かと食べ物の選択に困るな台湾では特に。
まあとりあえず6時半に車でホテルにお迎えし「酒は飲める」ということだったので(ちょっとうれしい、笑)、まずは蘆洲に車を置きに行き「台湾料理食おう」とタクシーで雙城街の欣葉へ出撃いたします。
なぜ雙城街の欣葉なのかって?そりゃ飲み屋のためですよ(爆)
日本人なら2次会は林森北路、欧米人(或いは英語ONLYの人)は雙城街~農安街あたりの英語通じるPUBというのが台北では一般的なので、英語しか通じないインド人連れて行くならやはり雙城街一帯でしょう。
ということでまずは雙城街の欣葉で台湾料理。
せっかくの台湾料理ですが、海鮮系(特に甲殻類)は全てパスし野菜系と豚肉系、それと炒米粉(焼きビーフン)などと台湾ビールをオーダー。中でもナスと豚肉の炒め物と焼きビーフンは気に入ったらしく特に焼きビーフンがお気に入りの模様。あれ?焼きビーフンって確か味付けに小エビが入ってるような気がしましたが私の気のせいでしょう(爆)
夕食を終えて2人で雙城街を軽く流して適当なPUBに入りウイスキーロックで2次会。しかし農安街というか雙城街のPUBなんて11年ぶりくらいだなあ。
さすがこのあたりのPUBだけあって小姐も英語で会話可能で、私も最初は「インド人と一緒に出張で来た日本人」を装って全部英語で話しておりましたが、太太からの電話であっけなく中国語ペラペラ且つ台湾在住がバレてしまい小姐たちに「大哥騙人(お兄さんのウソツキ~)」と言われてしまいました(爆)
まあこういうのがPUBでの会話の醍醐味なんだと自分で勝手なルールを作ってしまおう。
ウイスキーロックで数杯やって明日も朝から出張なこともありここらで切り上げてタクシーに乗りインド人をホテルまでお送りしたのですが、帰りのタクシーの車内でインド続きでチャンドラ・ボースの話になり私がチャンドラ・ボースと日本のつながりや彼が台北で事故死したことなどを詳しく話す(もちろん全部英語)と「彼は我々インドの英雄だ。チャンドラボースが台北で航空事故死したことは自分も知らなかったよ。君は日本人なのに本当によく知ってるね」と感心しきりでまさにインド人もびっくり←お約束のこれが書きたかった(笑)
実のところ初対面の日本人とチャンドラ・ボースネタで盛り上がって感動しているインド人には本当に申し訳ないんだが、やはり昭和40年代生まれの私にとってインドといえばこちらだったりする(爆)
インドの山奥~♪が脳内を駆け巡る中、無事
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